自律神経のバランス |
現代医学は、ありとあらゆる病気を治せるまでに発達し高度な発展を遂げてきた。
近い将来、平均寿命は100才を越え、治せない病気がなくなる時代も訪れるかも知れない。
我々人類は、日進月歩する医学の恩恵を享受し80才にして、40歳代の外見を手に入れることも可能になるかも知れない。
しかし、薬で症状を抑え、手術で病巣を取り除き、美容整形で外見だけを取り繕っても『痛みの出やすいカラダ』や『病気になりやすいカラダ』や『病気になりやすい生き方』がそのままなら、伸ばした寿命を苦しいものしてしまうかも知れないと、警鐘を鳴らすドクターも存在する。
現代医学やエビデンスでは、なかなか解決しない『未病』という問題が数多く潜んでいる。
苦しくて苦しくて仕方がないのに、病気として検査に異常が出てこないからエビデンスで証明出来ない。エビデンスによる証明が出来ないから苦しい症状を対症療法的に抑えることしか出来ずに、本当に困っている患者さんも数多く存在する。
人類の課題に挑戦する |
我々人類が解決すべき問題の1つに、
サブラクセーションが存在する。
頭を打ったり階段から転げ落ちたり、子供の頃の怪我や交通事故によるムチウチなどで、頚椎捻挫を起こしてしまうケースが多い。
命に別状がなければ、大半は見過ごされてしまうことが多い。そして5年、10年と経過していくうちにサブラクセーションとして現れ、酷い場合は頚椎ヘルニアとして診断されるケースもある。
頚椎の捻挫やムチウチなどの怪我の後遺症として、数年から数十年が経過したあとに『ゆがみ』や『変形』として表れる場合もある。
サブラクセーションによって、長期間に渡って脳・脊髄神経系の働きが阻害されると、運動神経系や自律神経系に関連する機能・器官が慢性的な失調状態に陥り、全身のあちらこちらに様々な不定愁訴が起こってくると言われ、あらゆる病気の根本原因に、このサブラクセーションが関与しているという医学も存在する。
サブラクセーションを解明・解決することが、我々人類の重要な課題の1つだということを胸に秘め、日々の施術に取り組んでいる。
患者の健康と生命を第一とする |
もしかすると、サブラクセーションはエビデンスでは証明出来ないとされているのかも知れない。
我々が関わる、東洋医学やカイロプラクティックなどの代替補完医療と呼ばれる分野は、命に関わるような緊急性の高い患者様は来院されないけど、予防メンテナンスという医療費の削減にも繋がる可能性を秘めた非常に重要な役割を担っていると考えている。
病気と診断される前の、体調不良という未病の段階を、より安全で有効な方法で考えなくてはならない。最短で最速で問題を改善するために、患者本人が自分と向き合い、じっくりと体質改善に取り組む姿勢も大切だ。その場の症状を軽くする速効性を求める考え方とは大きく異なるので注意が必要だ。
ROMやMMTなどの理学的検査やサーモグラフィーのデータを参考にしながら、東洋医学の四診も駆使して、よりエビデンスに準ずる観察を心掛けける。これは患者様のお身体をみさせていただく立場にいる者の責任だと、日々自分の心に問わなければならない。
世界に旋風を巻き起こす |
我々が望む成果はたった1つ。
『施術の成果に他ならない』
健康を回復した患者様の笑顔が何よりの心の報酬となる。患者様の施術体験談は宝物の1つです。
『この体験談を読んだ僕と同じように苦しんでいる人のお役に立てたら』
そう言いながら、
今日も嬉しい体験談が届きました。
目の前の患者様の評価が、やがては世界を変えていくのかも知れない。
我々の挑戦は始まったばかり。
患者様と一緒に世の中に新しい健康と価値を創造して行きます。
『ご縁を大切に感謝の気持ちを忘れずに
現在の時分に出来うる最善を尽くす』
素敵な体験談をありがとうございました!
始めに |
始めに、私は宮沢先生の施術を受けて今生まれ変わって新しい人生を歩んでいます。 一生治らず、辛さに耐えながら生きていく覚悟をしていたからです。 この経験がより多くの方の一歩踏み出す勇気になったなら幸いです。
バイク事故による生死をさ迷う大怪我 |
私は18歳の時に原付バイクの事故で頚椎の骨折をして、2ヶ月間寝たきりの入院を経験しまし た。 頚椎の4番目の棘突起と呼ばれる首の後ろに飛び出ている部分が折れ、頚椎7番目はリング状に 神経が通っている部分の両サイドが折れてしまいました。 一つ間違えれば、半身不随もしくは寝たきりという大怪我でした。 病院では絶対安静のため、ベッドに仰向けのまま動けず、ベッドの腰を上げて体を起こすことす ら禁止されていました。 同時に鼻骨と前顎骨陥没骨折、歯も数本折れ、右手の親指の腱が切れるという状態で、今思い起 こしてみてもよく生きていたなと思います。 事故直後はICUに3日、その後HCUという重病者がいる部屋へ1ヶ月おり、一般病棟にさらに1ヶ 月いました。
退院して復帰するまで約1年 |
当時、私は大学で硬式野球をしていまして、事故から退院して、復帰するまで約1年かかりまし た。 それでも、全盛期の肉体、動きには4年の現役最後まで戻りませんでした。 ですが、多少の首のひっかかりはありましたが、日常生活には支障なく、他の部員と同じように メニューもこなせ、パフォーマンスすることができていました。
自分の体験を生かしトレーナーを目指す |
大学卒業後、今まで漠然とトレーナーになりたいと思っていたものが、事故の影響もあり、より 明確に様々な怪我からの復帰を手助けするトレーナーに成りたいと意識しました。 そして、ジムトレーナーとして勤務し、同時にボディビル競技を始めました。 体作りは順調にいきコンテストへも出場し、少しですが結果がついてきて、仕事も個人でパーソ ナルトレーナーをするように成りました。 しかし、年を経るに連れて、スクワットなど体幹を保持するトレーニングがうまく出来なくなり ました。 (その時は、自分の未熟さが問題と思っていました。)
心の制御が効かなくなる |
首は慢性的に痛みがあり、左へのまわすと引っ掛かりがあり辛く、長時間立っていると左の背中、 肩甲骨周りに痛みが出てきて立っていられなくなり、眼精疲労は特にひどくなりました。 目が悪くなったからかと思い、眼鏡を掛けてみましたが気休めにしかならず、今度は寝不足だと 思ってたくさん寝ても、朝から目の奥が重く開けている事が辛い日々が続いていました。 特にパソコンに向かって1日中仕事をしていたため、夕方にはもう光る光源を見るのが辛くて、 テレビすら見たく有りませんでした。 そして、ボディビル競技までしていたトレーニングは、力の左右差が顕著となり、左腕には全く 力が入らない状態でまともにできなくなっていました。 それに加えて、仕事に集中する事が出来ず、ミスを連発!予定通りに全く事が進まない上にミス の規模も大きくなっていきました。 この頃には気晴らしにマッサージを受けても本当に一時的なもので、四六時中首が痛く苦しかっ たです。
アスペルガーと診断される |
それでも仕事はやらなくてはいけないので、予定をより綿密に考えるのですが、自分の心の制御 効かなくなり、上司の勧めもあり、心療内科にも通いました。 結果は、「アスペルガー」 衝撃とショックとで信じられませんでした。 抗鬱薬と安定剤を処方され、より事実を突きつけられショックでした。 でも、その時はこれで自分は復活出来ると思い次に向かえると希望に満ちました。 しかし、それは全くの勘違いだったのです。 飲んだ事で身体がフワッとし、仕事がすぐに上手くいくわけでもないのでミスは無くなりません。 驚愕なのはこの後です。 今まではなんて事のないちょっとした注意で気持ちが異常な程落ち込んでしまうのです。 ドドドドーンと落ち込み俯いて動けず、何も手に付かなくなりました。 さすがにおかしいと思って次の日はやめると少し症状は軽くなりました。そして、やはり飲んだ 方がいいのではと思い、その翌日に試すのですが、また気分が落ち込み酷い状況に!! 2~3回繰り返した後に生活がままならないと思い薬は一切やめました。 しかし、症状は改善するわけでもないため、毎日苦しく、仕事へ行くことも億劫になり、その時 の仕事をこれ以上継続できなくなり、退職するに至りました。
自分を責める |
そして至ったのは、自分の心の「問題」と言う事でした。 今までのミスの原因は相手に対して配慮に欠ける事が多かったため、自分の出来る範囲で苦しく ないように一から始めると心に決めました。 この時31歳、事故からは12年経っていました。 後戻りできません。やり直しも効きません。 進むしかありませんでした。 結婚もしていたため、それからはいろいろな仕事をしました。 警備員、カラオケ店員、食品工場、携帯ショップなど時間があれば、バイトを入れてと、、、 そうした時に少しずつ自分を見直して立ち直ってきて、対人関係に余裕が出来てきましたが、不 眠と、異様な体の疲労感は悪くなる一方でした。 高校時代から続けていたトレーニングは遂に5年以上も離れていました。
上司の紹介 |
そんな時、前職の上司が10年近く苦しんでいた肩の症状から回復してきたと言う話を聞きました。 どんな治療でも治らず、手術しかないとまで言われていたのが改善したと言うのです。 始めは半信半疑でしたが、実際に会って話を聞くと顔色も良く、嘘のように元気で、信じられま せんでした。 そして言われたのが、 「お前は10代で首の骨折ってるだろ!それが原因じゃないか!?紹介するから一緒に行って一度 診てもらってみろ」 そして、紹介頂いたのがこのせたがや整骨院でした。
希望の光 |
初めてあった宮澤先生は、 「今まで苦しかっただろう。絶対良くなるから頑張ろうな。この状態なら間違いない!良くなる 道筋が見える」 とおっしゃりました。 その言葉で、私は本気でかけてみようと決意しました。 そうして、受けた初めての治療の日、少し緊張気味に来院すると、笑顔で出迎えてくれる宮澤先 生がいました。 治療の前にボディチェック、 肩関節、股関節が引っかかりまともに機能していなく、苦しく、事前に撮っていたレントゲンを 見ると、異様に背骨、頚椎が曲がっていました。 多少なりとも解剖学に明るかった私が見てもよくこんな状態で今まで生きてきたなと思いました。 宮澤先生は、「よく頑張ったな!これは絶対良くなるから任せてくれ!本当につらかったな!」 と、言葉をかけていただき施術が始まりました。
自分の人生を取り戻す |
すると、今まで生きてきた出来事が走馬灯のように思い出され、後悔と反省と同時に苦しみから 解放される嬉しさと喜び、生き返るような思いが湧き上がってきました。 その首の辛さが抜け始めると同時に、全てを洗い流すかのように大粒の涙がこみ上げてきました。 あっという間に左右の首のひっかかりはなくなり、頭に血液が回っているからか晴れやかで、目 も冴え世界が別次元に見えました。 極端に聞こえるかもしれませんが、本当に生まれ変わったようでした。 そのあとも毎週調整をしていただく度に、体の左右差が整い、首の痛みも減り、どんどん良くなっ ていっています。
メッセージ |
私と同じように交通事故などの大怪我を負って時間が経つにつれて体も心も苦しくなっている方 には、ぜひ宮澤先生の施術を受けていただくことをお勧めします。 どんな病院にかかっても原因がわからない方、もしかしたら頚椎、脊髄圧迫による不調かもしれ ません。 宮澤先生ご自身もどんな病院へ行かれても治らなかった症状をこの施術で改善されたので、この 施術でもっと多くの人の手助けをしていきたいと、熱い志しを持たれて向き合ってくれます。 是非、同じように苦しむ方にこの施術で明るい未来を手に入れていただけたらと思います。
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